2013-05-14

Tumblings(山口冨士夫)[1]

日本で一番好きなバンドだったのがTumblings(タンブリングス)。
いや、日本で一番好きなミュージシャンが山口冨士夫で、冨士夫ちゃんが在籍してたバンドで一番好きなのが、タンブリングス、という言いかたのがあってるかな。
活動初期はタンブリング・ダウンとか山口冨士夫グループって名で当時の「ぴあ」にのってたね。
Tumblings

時代的にはラッキーだったんだ。高校でストーンズ好きになってそこからいろいろ聴きだして、卒業した84年に村八分とか山口冨士夫って名前を耳にするようになってきて。当時はインターネットなんかないからさ、たまり場にしてたロックバーみたいなところで情報交換したり、雑誌買ったり立ち読みしたりしか情報集める手段がなかったんだよねぇ。

それでもほとんど情報なんか集まらなかったんだけど、ある日…雑誌のすみっこに「70年代の伝説のバンド、村八分の唯一のライブアルバムがVivid Soundから再発!」みたいな小さな囲み記事を見つけたんだ。

多分、当時の日本でその記事を読んで10人目くらいに発売日を楽しみにしてたおいらは、発売当日朝10時の開店時間にレコード屋に飛び込んでね。結局2、3軒まわって見つけたんだっけな。ようやく手に入れることができたんだ。
あとは寄り道しないで最短ルートで帰宅。即レコードをターンテーブルに。

正直なところ…… ぶっとばなかった…
なんかやけに冷えた演奏だな… やる気とか全然感じない…
音も悪い…いや悪いんじゃなくて音圧がない。ミックスダウンがヘタというか、全然ロックのライブ的な音になってない。…まぁ当時の日本のレコード会社のレベルだと…みたいなことなのかな。わからん。
チャー坊歌 ヘタだな… でも歌詞は…これはさすがにすげえなぁ…
みたいな感じで、水たまりとかのびてぶぎーとか数曲に反応したくらいだったかな…

その頃はスライダーズ(The Street Sliders)に夢中になってたね。
がんじがらめ出して、少したって、ライブハウスからキャパ1000人前後の小さなホール、会館にスケールアップしてツアーをはじめた頃。

結局村八分もストーンズみたいに何度か聴いてるうちにだんだん浸みてきちゃったんだけどさ。またそれといいタイミングで当時一緒にバンドやってたタイコのヤツが、"ひまつぶし"の音源を手に入れて来たんだよね。どこかからカセットテープをダビングしてくれたんだ。
当時ひまつぶしって言ったら西新宿の中古屋とかで1万前後で平然と売られてて、売る気もあるんだかないんだか、壁のえらい高いところにサランラップ貼って奉られてたからな。一般人にゃとても手がでなくてあきらめてたんだけど。

山口冨士夫 ひまつぶし
ひまつぶし[アナログ/エレック]











とにかくひまつぶしは一発でお気に入りになった。

"赤い雲"とか"からかわないで"とか王道っぽいのは特にね。
まぁとにかく、あの出だしの「よーい、どーん…」にやられたよ。
これはほんとに聴きまくったなぁ。バンドじゃベース弾いてたくせにギターを一所懸命コピーしたわ。

それから…少したって86年頃。
雑誌で "冨士夫ちゃんが動いてるゾ。その名もタンブリングス。" みたいなこれも小さな囲み記事を見つけたんだよね。
調子にのってはしゃいでる客にいきなりマイクスタンド投げつけた、とか書いてあったわ。
 で、当時ライブハウスのスケジュールなんかはみんな「ぴあ」で確認してたんで、バックナンバーひっくり返して東京近郊のおもだったライブハウスの予定をチェックしまくったら発見したわけだ。タンブリング・ダウンとか山口冨士夫グループって名がぽつり、ぽつりと。
おお、ガセじゃないなこれは、ってことで最新号を買ってきて……発見!!!!
当時横浜に住んでいたから、横浜のアマチュアバンドとか見に行くのに使ってて東京のライブハウスまでチェックしてなかったんだよね…そこはちょっとライブ行く機会を逸してたと思うと残念無念だったな。
それでも10代の終りってわりと多感な時期に、こんな乱暴な感じで、村八分の音源と、生きてるのに伝説なんて言われちゃって気の毒な冨士夫ちゃんのタンブリングスでの復活をナマで体験できたことは、ほんとにラッキーだったと思う今日この頃。

で、ワクワクウキウキしながらクロコダイルまでライブに行ったってわけさ。

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